「生きてゆける山」とは

生きていける山とは

 

 日本で、昔から人が棲んでいた場所の多くは、中部地方の一部のぞき、概ね、

標高1000m以下の中山間地です。ところが、戦後の拡大造林を受けて、これら中山間地帯の多くは、前生樹のブナ林やモミなどが伐採され、スギヒノキなどの植生の単調な人工林となっています。

近年、この中山間地では、イノシシやシカなどが麓に出て、畑を荒らしているようです。彼らは、人工林では生物多様性が貧しいためか生きてゆけないのでしょうか?

あるいは、過疎化で、人と野生生物の境界管理が行き届かなくなったためでしょうか?

 おそらく双方の影響があるのではないかと感じています。

 

一方、このような生物多様性が単調な人工林で、人間が自給自足生活してゆけるものでしょ

(※写真 野幌自然公園の樹齢800年のミズナラ)

うか?獣が住めないほど、生物の多様性が貧しい山でしたら、とても無理と思われます。

逆に、人間が自給自足生活できる山でしたら、これらの大型の哺乳類も、充分生きてゆけるので、里を荒らすこともないかもしれません。

こういった山が「生きて行ける山」であろうと思われます。

 

さて、実際に私たちは、この「生きてゆける山」でどのようにして自給自足生活をしていたのでしょうか?私たちの食べられる山菜などは、大型哺乳類の食べる、多肉質の草本(フキ、ユリ根など)と、一致するものも少なくありません。

 

一般に、ユリ根や、ワラビなど、四季の食べられる野草などは、救荒作物と言われています。これは、旱魃などの天災による飢饉や動乱などの非常時に、生き延びるため食べられる野草のことをいいます。

 

山で自給自足で生きてきた人々は、木の実や山菜などのの採取と川魚や獣の漁撈、狩猟生活のほか畑も耕して生活しています。

 

畑は主に二つのパターンがあるようです。

ひとつは、下流の川筋から開墾をはじめ、最終的に稲作を目指すパターン

もうひとつは、川に関係なく、尾根越えなどで、その土地に進出し、稲作は実施せず畑作のみのパターン

 

どちらも、共通していたのは焼き畑です。

焼き畑というと、アマゾンの森林の乱開発などで、焼き畑農民が侵入して山火事を起こしたり、乱伐採などして原生林を荒らすといった悪いイメージがあります。

 

 しかし、日本の焼き畑は極めて保続思想にもとづいて、一回畑にして、5,6年畑として使用したら、後は自然に返してアカマツ林や、ナラ、ミズナラとして森林を再生して、80年程度のサイクルで再びの焼き畑にするというものです。詳しくは

 

・薪炭林を伐採し終わったら、跡地を焼いて、畑を耕して、雑穀や豆を交互に隔年作付(2回)し、そば作付(2回)して畑の栄養分を使い切るまで、5、6年程度

・栄養の無くなった畑は、ススキの原っぱとして3,4年管理し、ススキは屋根の資材に使用

・ススキの原っぱを刈っていると自然にアカマツの実生が発生するので、稚樹を大切に育て、そのままアカマツ林として成林

45年経ったら、アカマツを伐採し利用(建築材、炭等)

・アカマツを伐採する頃に、林床に発生した薪炭林の実生(主にコナラ、クヌギ、ミズナラなど)を育てる。

25年経ったら薪炭林を伐採

 

以上70年から80年サイクルで、

焼き畑⇒カヤ野原⇒アカマツ林⇒薪炭林⇒焼き畑⇒・・

と森林も共々一緒にサイクルさせます。

 

この方法ですと、3年に一回焼き畑を2反ほど行うと、毎年

 

雑穀 400kg程度

大豆 250kg程度

そば 120kg程度

 

の収穫があり、おおよそのカロリー計算をすると

これらの穀物豆のカロリーは2,895,000kcal

大人一日生きるためのカロリーを1500kcal

とすると

大人1930日分の食料

すなわち、大人5.3人分が一年間生きられる食料が得られることになります。

※雑穀・そば(350kcal/100g,大豆(430kcal/100g)

これは、あくまで一例(岩手県九戸郡軽米町)ですが、森と人とが共存しながら生きて来た良い事例ではないかと思います。

結論として、山で生きていく場合も、農耕・採取・狩猟・漁撈すべて実践して、みな食料を得ていたのではないかと思います。

 

 岩手県以外も、日本全国各地の中山間地域で、雑穀を利用した焼き畑が行われていたようですが、原生林や薪炭林を伐採したあと、スギヒノキなどの人工林を植え付けたり、森に還さずに最終的に田んぼにしたりと、やはりその土地ならではの利便性を考えて利用したようです。

 

 ここで、岩手県軽米町の例では、人が一人持続可能に生きてゆくため、一人当たり1haから1.5ha程度の焼き畑が可能な森林が必要になりそうです。

 焼き畑による森林では、生物多様性が限られるのでは?という考えもありますが、明治時代以前は、仏教思想により、鳥獣保護のための禁猟区もありました。このため山野の獣が保全されたほか、伐採跡地と、森林の境界は植生の境界が発生するため、いわゆる「林縁効果」で生物活動が盛んになる場所と言われます。

参考

 

 聞き書 「岩手の食事」